事務所の歴史:1960年代
1969年
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- 入所弁護士
- 川淵 秀毅
- 馬奈木 昭雄
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福岡市民会館、幼児転落死勝訴
市民会館三階の階段隙間から幼児が転落死。構造上の欠陥をついて損害賠償請求、勝訴。福岡市はその後施設を改善。
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日活ホテル事業所閉鎖反対闘争
東中洲日活ホテルの閉鎖に対する長期の大闘争、事務所をあげてとりくむ。
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九大エレベーター転落事件提訴
九大病院で欠陥エレベーターに乗った少女が転落して大怪我。九大の責任を追及して損害賠償請求、のちに勝訴している。福岡中央郵便局で強制執行。
1968年
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- 入所弁護士
- 中村 照美
- 吉野 高幸
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九大学生、デモ不当弾圧(正当防衛、公訴権濫用)起訴
トロッキスト暴力学生と対決した民主的学生を検察庁が逆弾圧。正当防衛、公訴権濫用でたたかう。
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高教組、校長着任拒否闘争で(免職処分取消)提訴
県高教組役員の大量免職処分取消を求めて行政訴訟。長期裁判はじまる。
1967年
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- 入所弁護士
- 小泉 幸雄
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諫山弁護士、参議院地方区に立候補
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佐賀県高教組公選法違反事件(組合内部の文書活動)起訴
組合内部の文書活動を公選法違反として起訴。
1966年
1965年
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- 入所弁護士
- 角銅 立身
- 古原 進
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直方スパイ調査弾圧(結社の自由)事件
スパイを摘発、査問した共産党幹部が不法監禁罪で起訴される。結社の自由を守る闘いに発展し、裁判所は警察のスパイは違法と断定。
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労音・労演、入場税取消裁判(芸術活動の自由)提訴
芸術活動の自由を抑圧する入場税の撤廃を求めて全国で一斉に行政訴訟。諫山弁護士が全九州の弁護団責任者となる。
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はかたタクシーロックアウト事件
長期ロックアウトの正当性をめぐって賃金支払請求の裁判。福岡地裁が賃金支払を命じて勝訴。
1964年
1963年
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- 入所弁護士
- 千場 茂勝
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梅崎芳高氏、公選法違反起訴
福岡市議選に共産党から立候補した梅崎芳高氏を公選法違反で起訴。
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福岡市議選で公選法違反(戸別訪問)で起訴。公訴権濫用で大論戦展開
福岡市議選で当選した矢野健造市議ほか教師を個別訪問で起訴。公訴権濫用をめぐって大論戦はじまる。
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三池争議(刑事弾圧)、最高裁上告
1962年
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- 入所弁護士
- 木梨 吉茂
- 齋藤 鳩彦
- 立木 豊地
- 松本 洋一
- 三浦 久
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和田・杉村、公選法違反(戸別訪問)起訴。公訴権濫用を争う
共産党の選挙運動を個別訪問で起訴。公訴権濫用を争って長期の大裁判になった。
- 10月
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福岡第一法律事務所設立(10/15)
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国労久留米分会員を不当弾圧(国鉄労働者の争議権)起訴
国鉄労働者の争議権、鉄道公安職員の職務権限をめぐってはげしい法律論争。一審一部無罪、二審全員無罪、最高裁で差し戻し、その後有罪。
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全岩田屋労組員を(職場交渉を強要等で)不当起訴
全岩田屋労組の職場交渉を強要等で起訴。
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全農林長崎、国公法違反(公務員の争議権)で不当起訴
九州におけるはじめての国公法違反刑事裁判。公務員の争議権保障をめぐって高裁、最高裁まで大論争になる。
1961年
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- 創設弁護士
- 諫山 博
- 谷川 宮太郎
- 横山 茂樹
- 吉田 孝美
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諫山・谷川・横山・吉田法律事務所設立
1959年
1957年
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諫山・谷川法律事務所設立
1956年
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板付基地闘争地裁(丹生)判決
1951年
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諫山弁護士開業(29歳)朝鮮戦争サンフランシスコ条約発効