じん肺問題への取り組み
弁護士:山本 一行
じん肺の恐怖
人間の肺は、本来たいへんに余裕のある大きな器官です。粉じんを吸い込んでも、様々に排出し、無害化する機能が備わっています。しかし、それをはるかに超える粉じんを吸い込まされ続け、最終的に生きるのに必要な酸素さえ取り込めなくさせられるのがじん肺です。みなさんも、息を止めてみて、酸素がなくなる悲惨な苦しさの一端を想像してみてください。
じん肺問題は、古代ギリシアから存在し、日本では江戸時代から広く知られていたのですが、企業はほとんどこれを放置してきました。発症までに長年月を要し、多くは退職後に症状がでるため、知らんふりができてきたのです。
じん肺訴訟への取り組み
このたいへん理不尽な被害について、我われが裁判に立ち上がった頃は、残念なことに「じん肺」という言葉さえあまり知られていませんでした。
全国初となった長崎(北松)じん肺訴訟の提訴が、1979年ですから、現在に至るまで30年間、闘いを続けてきたことになります。
長崎(北松)じん肺訴訟では、企業に責任があることが明らかとなりました。同訴訟では、時効と損害額について、地裁、高裁、最高裁、そして差し戻し高裁に至るまで闘いを続け、現在の水準にまで到達しました。
筑豊じん肺訴訟では、18年間闘い続けて、国の責任を認めさせることができました。国に勝ったことは、じん肺訴訟だけでなく、国を被告とする他の事件の勝利にも寄与できたものと思っています。
三井三池じん肺訴訟、三井松島じん肺訴訟では、炭鉱が操業中、あるいは閉山直後に訴訟を提起し、企業支配がまだ強く残っているなかで、勝利することができました。
その後、西日本石炭じん肺訴訟を提起し、企業がなくなってしまった人にも国の責任で救済をさせてきています。
また、トンネルじん肺訴訟では、国の責任を明らかにするとともに、じん肺防止に関する規制の改正を勝ち取りました。そして現在は、裁判によらない更なる救済を目指しているところです。
命と健康を護るために
原告たちは、労働組合などに支援を呼びかけ、1989年から毎年、「あやまれ、つぐなえ、なくせじん肺」を合い言葉に、「なくせじん肺全国キャラバン」を行っています。原告や支援者、そして弁護団は、全国を駆けめぐって運動を続けてきました。原告たちは、損害賠償を勝ち取るだけではなく、被害の悲惨さや、国や企業によるひどい加害の実態を広く国民に知らせることを通して、補償やじん肺防止対策の改善を勝ち取ってきました。原告たちは、人間回復をかけて闘ってきたと言っても、言い過ぎではありません。
昨今、アスベストや様々な労災職業病が問題となり、労働者の命と健康がないがしろにされています。我われは、これらを根絶すべく、今後もがんばっていきます。