令和5年度スモンの集いに参加しました
10月29日、九大医学部百年講堂で開催された市民講座です。
薬害スモン事件とは、「日本の薬害の原点」と言われる事件です。1953年に認可された整腸剤(キノホルム剤)を服用したことによって、運動障害、知覚異常等、とりわけ視力障害の神経症状などの重篤な副作用を生じさせた事件です。下痢や腹痛の症状に対して、病院の医師が処方したり、家庭の置き薬として広く使用されていた整腸剤を患者が服用したことで重症に陥りました。
スモン患者は1955年頃から確認されましたが、原因不明の奇病と報道されました(途中からはウイルス説も報道されました)。国はようやく1970年9月になって、各都道府県知事宛にキノホルム剤販売中止の薬務局長通知を発しましたが、その間に被害が拡大した結果、被害者は1万人以上と推定されています。
薬害スモン訴訟は、1971年5月に国と製薬企業を被告として東京地裁に初の提訴が行われ、その後も約700名が東京地裁に提訴しました。薬害スモン訴訟は、1981年1月時点で福岡を含む全国32地裁に係属し、原告患者数は約6000名に達する、当時戦後最大と言われた大型薬害集団訴訟になりました(主な争点は、因果関係と国の法的責任でした)。
訴訟は、東京地裁が示した時期の異なる2つの和解案や2つの判決、金沢地裁の判決などが出されましたが、全面解決に至るものではありませんでした。しかし、1978年11月の福岡地裁判決が、国の法的責任を明確に認めた全面勝訴判決であり、その後の各地地裁の原告全面勝訴判決の流れを決定付けました。
薬害スモン判決が、薬事法上、国には医薬品の安全性確保義務があると判示したことを受けて、1979年の薬事法の改正により、薬事法の目的として、医薬品の有効性・安全性の確保が明記されました(薬事法1条)。また、承認時の規定の整備、承認時に添付する資料や承認拒否事由の明記、「再評価制度」の法制化等の薬事制度の基礎が作られたのです。
福岡訴訟の弁護団メンバーは、現在、経営法曹として活動されている弁護士も多く含まれ、党派を超えた幅広い弁護士が参加していることがうかがえます。
スモンの集いでは、「スモン患者の現況」「スモンの風化防止について考える」「医薬品に関する各種制度について」「薬害経験の伝承のために―薬害スモンに学ぶ」という講演が行われ、また、会場ロビーには貴重な闘いの写真が展示されていました。
事件自体は、40数年前に解決しているものの、被害者の恒久対策(差別を受けることなく安心して治療を受けられる体制作り)やスモン訴訟の闘いの成果をどう後世に活かすかという問題提起がされており、非常に有意義なイベントでした。
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