世の中捨てたものでありません
国や大きな企業を相手に裁判をやっていると、公務員や企業の社員は帰属意識が強いようで、裁判で証人になっても国や会社に有利なことしか言わないのが常です。なかには本当におかしなことを堂々と述べる、述べたことの根拠を尋ねても答えられないなどということが時々あります。うんざりする思いを度々してきました。
そんななか、たまに嬉しくなる経験をすることがあるのです。
筑豊じん肺訴訟の最初のころ、国の責任をなかなかうまく追及できていませんでした。1審では敗訴しました。そのころ、元経済産業省の公務員で、「鉱務監督官」という炭鉱などで取り締まりを行う仕事に就いていた方に接触する機会がありました。あまり期待をしないままに話をしていくうちに、「自分らは頑張って仕事をしてきたつもりだが、現実には多くのじん肺患者が出てしまった。どこかに原因があるのだろうから、それは考えてみないといけない。」と語り始められたのです。その後は全面的に協力をいただき、有益な話をお聞きすることができました。
ある職業病にかかったことによる損害賠償の事件では、その職業病に本当になっているのかどうかが争点になりました。なかなか決め手がなく悩んでいたのですが、その分野では第一人者と言われる医師にあたってみることにしました。その方は、厚生労働省の審議会の委員などを歴任され、また別の訴訟では企業側の立場での意見書を書いたりされていたのです。おっかなびっくりでお会いすると、私たちの持参した資料をしばらくじっと見つめるように眺められた上で、「これは間違いない」と言われたのです。その後は私たちの期待を超えるほどに協力をいただいています。
弁護士会の会合で、ある労働事件で労働者側の弁護士の行った宣伝活動が行き過ぎかどうかを議論する場がありました。その場には、ふだん労働事件を企業側の立場で活動している弁護士も、労働者側で活動している弁護士もいます。しかし、皆そんな立場は忘れ、またわからないことは「わからないから教えてほしい」などと述べながら、まっとうに議論が進むのです。
立場や党派を超えて正しいことを追求する、良心や自分のよって立つ専門知識に従って活動することを目の当たりにすると、たいへん心強い思いになります。