わたしが労働事件に取り組む理由
私が所属する福岡第一法律事務所は、労働者側の労働事件を重要な分野の一つとして取り組んできました。その中で、私がどのような思いで労働事件に取り組んでいるのか、自分の考えを整理する意味もあって少し書いて見ます。
働く者の個人の尊厳
人は、社会において承認され尊重されなければ、自らの「個人の尊厳」を確保することはできない。人格は、自己と他者との相互承認によって、社会的承認によって成り立ち、他者との関係の中でこそ具体化され、発展していくことができる。他者との関係を抜きにして、自己の自立及び自律はない。私は、これまで読んできた哲学の本や自分の経験などに基づいてそのように思います。
それゆえ、人は、一人ひとりが、常に社会において承認され尊重されなければならない。健全な民主主義社会が形成されていくためにも、人が個人として承認され尊重されることが不可欠です。そして、この社会において生きている大半の人は、その人生の多くの時間を労働に費やしている労働者です。これらの人々が、個人の尊厳を確保していくためには、各自が労働に従事する労働の現場において、個人として承認され尊重されなければならず、労働者が単なる手段として扱われることはあってはなりません。
ディーセントワーク
労働者とその家族が尊厳をもって生きていくためにも、そして社会が健全に発展していくためにも、労働者が、人間らしく働けること、ディーセントワーク(decent work)が必要です。ディーセントワークとは、「働きがいのある人間らしい仕事、より具体的には、自由、公平、安全と人間としての尊厳を条件とした、全ての人のための生産的な仕事」のことです。2009年のILO総会において21世紀のILOの目標として提案されたこのディーセントワークという言葉は、果たしてこの日本においてどれほど定着してきたのでしょうか。
日本の現状
2021年の厚労省の国民生活基礎調査によると「生活が苦しい」と回答したのは全世帯では53.1%、児童のいる世帯では59.2%にも達しています。この30年間、日本経済は伸び悩んで成長から衰退へと向かい、多くの人が疲弊し、労働現場でも労働者にとって大変厳しい状況が生まれています。使用者が労働者を単なる手段として位置づける傾向が強まり、パワーハラスメントが横行しています。職場における助け合いや連帯感が希薄になり、そして極めて悲しいことに、労働者が本来仲間であるはずの労働者に対して陰湿なハラスメントを行うことも少なくありません。そこでは加害者自身の人格も決定的に損なわれています。
労働相談を通じての実感からも
過労死問題の取り組みが本格的に始まって30年以上を経ていますが、未だに過労死・過労自死事案が後を絶たちません。また、職場におけるハラスメントにより労働者のメンタル不全が深刻になっており、法律相談や事件活動でもメンタルヘルスに関連する事案が増えているというのが多くの弁護士の実感だといえます。
また、日本社会における格差の存在も極めて深刻な状況にあります。日々の相談の中で非正規の労働者がその無権利状態の中で苦しんでおられるのを目の当たりにしています。正規労働者と非正規労働者の労働条件における格差は、著しく正義に反する状態に至っており、一刻も早く解消されなければならないと多くの人が感じています。このような状態がいつまでも放置されてよいはずはありません。
労働者の権利
この日本社会の現実の下において、どのように打開を目指すのか。これらの問題の根源的な解決において鍵を握るのは、やはり「労働者の権利」だと私は思っています。労働者の権利を通じて働く人々の個人の尊厳をしっかりと確保していくことにより、状況は大きく打開されるはずです。ディーセントワークという言葉が定着し、人間らしく働けることが当然のことと認識され、これに反する状況は絶対に許容しないという意識が広がることにより、日本社会は劇的に改善するものと思います。
労働組合・働く仲間の連帯への期待
私は、労働者の権利をまもる取組においては、労働組合が大きな役割ないし機能を担うものと期待しています。労働現場における労働者同士の助け合いや連帯感が極めて希薄となっている中、労働者の権利の蹂躙を許さず、一人の労働者が被っている問題を自分たち自身の問題としてとらえる労働組合が発揮する力はとても大きいのです。たとえば、労働者としての権利を蹂躙され、パワーハラスメントの犠牲となって職場から放り出されようとしている労働者が、一緒になってたたかってくれる労働組合に出会ったとき、どれほど救われた思いになるか、私はいくつもその光景を目にしてきました。労働組合の組織率の著しい低下が言われて久しいですが、そのような中で、今も日本の各地で労働者の権利を守るたたかいが地道に行われています。その一条の光明は、やがて大きな光の束となっていく。そのような期待を、私は労働組合と一緒に活動する中で持っています。
以上