梶原恒夫 弁護士記事

2023年3月28日(火)

過労死認定を職場改善へつなげるために

弁護士 梶原恒夫

はじめに

 昨年(2022年)11月4日、福岡で9回目の過労死シンポジウムが開催されました。この過労死シンポは、過労死等防止対策推進法に基づき、厚労省主催で毎年全国の会場で開催されています。今回の福岡会場のメインテーマは、「ディーセントワークをめざして」。ディーセントワーク(decent work)とは、21世紀のILOの目標として提唱されているもので、「働きがいのある人間らしい仕事、自由、公平、安全と人間としての尊厳を条件とした、全ての人のための生産的な仕事」のことです。
 このシンポジウムにおいて、私も「労災認定を職場改善へつなげるために」との演題で参加者の皆さんにお話をさせていただきました。その中では、不幸にして職場で過労死・過労自殺(重篤な後遺障害を残すものを含む)が発生した場合、これをうやむやにして闇に葬らせず、労災認定へ向けた事実関係の調査及び分析を通じて職場の改善へ向けてフィードバックさせていく必要があること、過労死・過労自殺の労災認定活動は,被災者・遺族の個別救済にとどまらず,職場環境や労働条件等の改善へとつなげる大きな意味をもつはずであることを訴えました。以下は、その際使用したレジメの抜粋です。

第1 労災認定を職場改善へつなげるためにー基本的視点

1 過労死・過労自殺事件の掘り起こしの重要性

 過労死・過労自殺ではないかと疑われる事案が生じた場合、労災をうやむやにして闇に葬らないために、とにかく事実関係をできる限り調査し分析して、いわゆる事件の掘り起こしをすることが極めて重要です。労災を放置すれば、問題点は解消されないままに必ず次の被害が発生してしまうでしょう。
 ただ、被災労働者がどのような職場環境・労働実態に置かれていたのかの立証を被災者本人あるいは遺族のみの力で行うことは極めて困難です。やはり,職場の上司・同僚の協力が求められますし、労働組合や地域組織による協力体制づくりが求められます。私は、この事件掘り起しを行っていく上では、やはり労働組合あるいは労働者のいのちと健康の問題に取り組む地域組織などが重要な役割を果たし得ると思います。

2 労災認定への取組と職場改善の取組との一体化

 労災認定へ向けた事実関係の調査及び分析という活動を通じて、当該労災の原因が明らかになり、ひいてはその職場が抱えている問題点が明らかになっていきます。そこで、労災認定を得ることだけに終わらせずに、労災認定に向けた取組を通じて,職場の改善へ向けてフィードバックさせていくことが重要です。
 使用者としても、労災の発生という事実を真摯に受け止め、再発防止のために必要な職場改善に積極的に取り組むことが求められます。それによって作業効率も向上し結果として企業利益にもつながっていくのではないでしょうか。私はこの点を特に強調したいと思います。

3 被災者本人・遺族の心のケアの視点の必要性

 過労死・過労自殺は,本人や遺族に多大な精神的負荷をかけるものであることから,本人・遺族の心のケアへの配慮が極めて重要であり,この点に配慮できる人的体制が求められます。ここにおいても,労働組合や地域組織は大きな役割を果たし得ると考えられます。

4 弁護士・医師等専門家との協力体制強化

 労災認定が出ればそれで終わりということにとどまらない,職場改善と労災認定への取り組みの一体化という課題の取組の中においても,弁護士・医師などの専門家との協力協同の体制作りは有用であると思います。

第2 実践編(その1)-とにかく事実関係をできるかぎり調べて分析・評価する

1 労災が疑われる事案が起こったらとにかく事実関係を調査する

 労災が疑われたら、決してこれを放置することなく、とにかく事実関係を調べましょう。そして、得られた事実関係を分析・評価しましょう。全ての出発点は、「事実」です。何が起こったのか、なぜ起こったのか、とにかく事実を調べなければ何も始まらない。

2 事実関係を調査・分析する際の基本的視点
   ―量的負荷と質的負荷

 当該事案の事実関係について、当該被災者が被ったと思われる職業性ストレスを、量的負荷と質的負荷の二つの側面から調査し分析します。

3 量的負荷の指標―労働時間の長さ

 量的負荷の指標としては、いうまでもなく労働時間が重要な指標になります。
 たとえば、厚労省の脳・心臓疾患の労災認定基準では、発症前1か月乃至6か月にわたって,概ね45時間を超えて時間外労働時間が長くなるほど業務と発症との関連性が強まると判断でき,発症前1か月間に概ね100時間,又は発症前2か月間乃至6か月間にわたって,1か月当たり概ね80時間を超える時間外労働時間が認められる場合は,業務と発症との関連性が強いと評価できるとしています(いわゆる「過労死ライン」)。また心理的負荷の労災認定基準では、長時間労働のみで心理的負荷の強度を「強」と評価できる場合として、発病直前の連続した2か月間に、1月当たりおおむね120時間以上の時間外労働を行った場合、あるいは発病直前の連続した3か月間に、1月当たりおおむね100時間以上の時間外労働を行った場合を挙げています。労働安全衛生法66条の8の3は、医師による面接指導を実施するために,厚生労働省令で定める方法により労働者の労働時間の状況を把握することを使用者の義務として明記しています。
 当該事案で長時間労働の実態が認められた場合、なぜ長時間労働が生じてしまったのかその原因を究明することが重要です。使用者の労働時間管理の在り方に問題はなかったのか(労働安全衛生法66条の8の3は、医師による面接指導を実施するために,厚生労働省令で定める方法により労働者の労働時間の状況を把握することを使用者の義務として明記しています。)、被災者がサービス残業を余儀なくされる状況になっていなかったか等、十分に調査・分析することが求められます。

4 質的負荷の指標―DCSモデル

 質的業務負荷の分析のためのモデルとしては、カラセック(Karasek)というストレス学者が提唱し産業ストレス領域で最もよく知られているモデルであるJob Demand Control-Support(DCS:仕事の要求度・裁量度・職場支援度)モデルがあります。このモデルでは、①仕事の要求度が高ければ高いほど(つまり業務の過重性が強ければ強いほど)、②業務の裁量度が低いほど、③職場における支援度が低いほど、心身の健康障害のリスクが高くなると考えられています。
 以下に述べる事実調査においては、この3つの観点から調査を行い、当該被災者が業務から受けたストレスの大きさを分析評価することにより、労災の原因がより明確になると思います。例えば、当該被災者に業務が偏って集中していなかったか、必要な裁量は与えられていたか、上司・同僚の業務支援はなされていたか、など実態をリアルに把握する調査が求められます。

第3 実践編(その2)-事実関係をどのように調査するか

1 早期の事実調査の重要性

 当然のことながら時間とともに人の記憶も薄れ、証拠も散逸してしまいます。とりわけ、パソコンやメールその他の電子データが消去されてしまう危険性があります。そして、労災が発生したことに対する職場の問題意識もなくなっていきます。

2 労災事件における証拠資料の収集の手段・方法
⑴ 本人・遺族・職場関係者からの事情聴取,陳述書の作成

 被災者本人、遺族からの事実関係についての聴取、職場関係者(上司・同僚など)からの聴取を行った上で、速やかに陳述書を作成して署名捺印を確保して証拠化することが極めて重要です。この点、職場関係者からの聴取に際しては、相手の立場や考えに配慮をした繊細な工夫が必要となります。ここにおいても労働者の置かれた状況についてよく理解している労働組合や労働者のいのちと健康の問題に取り組む地域組織などが重要な役割を果たし得ると思います。
 聴き取り調査の中で更に調査すべき課題の発見にもつながります。断片的な情報も積み重ねてゆくことにより全体像、すなわち労災が発生した原因が見えてくることにつながっていきます。
 また、過労自殺の事案において労災と認められるためには前提として被災者が精神疾患を発症していたことの立証が求められますが、被災者が生前病院を受診していなかった場合には、被災者の言動や様子などが例えばうつ病エピソードに該当するものであったことを裏付ける証拠として遺族あるいは同僚等の陳述内容が極めて重要となります。したがって、その観点に立った具体的な陳述書の作成が不可欠です。

⑵ 証拠保全(民訴234条)

 散逸あるいは消滅してしまうおそれのある証拠を保全するために民事訴訟法が規定する証拠保全により裁判所の検証記録として残すという方法があります。たとえば被災者が使用していたパソコンのログ時間,アプリケーションログ時間等被災者のパソコンが稼働していた時間を記録した電磁的記録(被災者が使用していたパソコン本体のみでなくサーバーなど別のコンピューターに残された記録を含む。)など、労働時間の証拠となるパソコンのデータを保全する場合などがその典型的な具体例です(コンピューターの電磁的記録を検証記録に残す方法としては,パソコンのログ時間やアプリケーション時間等のパソコンが稼働していた時間が分かる情報,あるいは電子メールの送受信時間,文書の作成日時時間等の情報について,これらの時刻が一覧となっている画面をパソコン上に呼び出し、この一覧のパソコン画面をペイントアプリケーション等を使って画像記録として残すという方法がよく採用されています。この方法によれば,当該文書の内容(企業秘密など)に立ち入ることなく,当該文書が作成された時刻を記録として残すことができます)。警備会社が保有している開錠施錠の時刻のデータに対して証拠保全を行うこともあります。
 証拠保全のためには裁判所に申立てが必要ですが、被災者本人あるいは遺族の陳述書と簡単な疎明資料により比較的簡単に保全決定は得られます。

⑶ 弁護士法23条の2に基づく照会

 弁護士に依頼した場合、弁護士照会によって情報をもっている先に照会をおこなうことができます。例えば,警備会社への開錠施錠の時刻のデータの照会、高速道路会社へのETCの通過時刻の照会などが挙げられます。

⑷ 使用者に対する照会

 使用者の元には、労災認定において重要な証拠となりうるものが存している可能性が高いことは言うまでもありません。使用者としても再発を防止していくという観点から積極的に調査に協力することが望まれます。

⑸ 労基署段階で労災が認められなかった場合の情報開示請求

 労基署段階で労災が認められなかった場合においても、「行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律」13条1項の規定に基づく保有個人情報の開示請求により、労基署が当該事案で入手した資料や労災不支給に際して作成した調査復命書などの情報開示を求めることができるので、これをその後の不服申し立ての手続きや民事訴訟において活用することができます。

⑹ 不服申立手続において

 再審査請求段階ではそれまで労基署・労働保険審査官及び当事者が提出した各資料が開示されますのでこれもその後の手続において活用できます。

第4 実践編(その3)-弁護士・医師などの専門家の活用

1 弁護士の果たし得る役割

 労災が認定されるために必要な法的観点を踏まえた事実調査及びその分析・評価をなす上で法律実務家としての知識・経験を活かすことができます。また労災認定申請手続において、認定基準を踏まえた意見書の作成等、労災認定に資する活動を行うことができます。

2 医師に期待される役割

 業務と発症との因果関係の存在あるいは対象疾病の発症の事実などについて、医学経験則に基づく専門的知見の提供や、必要に応じて医学的意見書の作成などにおいて重要な役割が期待されます。とりわけ、疾病と労働との関連性という社会医学的な観点にたった医療活動を行っている医師の存在は労災認定においても大きな力になります。

第5 結論―労災認定に向けた真摯な取り組みは必ず職場改善につながる

 以上のことから、労災認定に向けた真摯な取り組みを行うことは必ず何らかの職場改善につながるものと思われ、他方、労災を見て見ぬふりを続けていけば、必ず次の労災被害を生んでしまうということができるものと思われます。
 不幸にして労災が発生した場合、労災認定の実現を追求する活動を通じてこれを職場改善につなげていくという取組が、多くの職場において積極的に実践されていくことが強く望まれます。

以上

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弁護士紹介梶原 恒夫

梶原恒夫 弁護士

弁護士登録:1989年

主要な取組分野・フィールドは,「労働」をキーワードとする各種事件です。また,業務に関連して関心のある領域は,法哲学,社会思想,社会哲学です。常に勤労市民と一緒に活動していける弁護士でありたいと願っています。個別事件を普遍的な問題につなげながら。