「労働基準関係法制研究会報告書」について
第1 厚労省による労働基準関係法制研究会の設置
厚生労働省は、2024年1月、「今後の労働基準関係法制について包括的かつ中長期的な検討を行うとともに、働き方改革関連法附則第12条(引用者註・働き方改革関連法による改正後の労働基準法等について、その施行の状況等を勘案しつつ検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとされている)に基づく労働基準法等の見直しについて、具体的な検討を行うことを目的」に、厚労省労働基準局長が開催する研究会として、「労働基準関係法制研究会」(以下「研究会」)を設置しました。
そして研究会の検討事項は、①「新しい時代の働き方に関する研究会」報告書(2023年10月20日)を踏まえた今後の労働基準関係法制の法的論点の整理、②働き方改革関連法の施行状況を踏まえた労働基準法等の検討、とされていました(開催要項)。
同研究会は、16回の開催を経て、本年1月8日、「労働基準関係法制研究会報告書」(以下、「報告書」)を公表しました。この報告書の内容がそのまま直ちに立法化される訳ではなく、今後労働政策審議会の審議を経て法案が作成されていくものと思われますが、報告書の基本的な方向性は法案の内容に重要な影響を与えるものと考えられますので、以下、批判的観点に立って若干のコメントを付しつつ報告書の概要をご紹介します。
第2 報告書が示す情勢認識
報告書は、「社会や経済の構造変化も踏まえつつ、単なる規制の見直しを超えて、労働保護規範の設定の在り方や実効性の確保の在り方、労働者がそれぞれの事情に応じた多様な働き方も選択できる社会を実現するために労働政策が果たすべき役割等も踏まえて、労働基準関係法制が果たすべき役割を再検討し、労働基準関係法制の将来像について抜本的な検討を行う時期に来ていると考えられる。」との情勢認識を示しています(下線は、引用者。以下同じ)。
☚「多様な働き方が選択できる社会の実現」を規制緩和のための口実に使われることのないよう注意していく必要があるものとおもわれます。
第3 報告書が検討の柱としているもの
報告書は、「新しい時代の働き方に関する研究会」の報告書(2023年10月20日)が示した、①全ての働く人が心身の健康を維持しながら幸せに働き続けることのできる社会を目指す(「守る」の視点)、②働く人の求める働き方の多様な希望に応えることのできる制度を整備すること(様々な働き方に対応した規制)「支える」の視点) の二つの視点が重要である旨述べています。
そしてそのために、最低労働基準としての規制の原則的な水準を守りつつ、多様な働き方を支える仕組みとすることが必要であるとし、「労使の合意等の一定の手続の下に個別の企業、事業場、労働者の実情に合わせて法定基準の調整・代替を法所定要件の下で可能とする仕組みとなっていることが必要」であるとし、「こうした仕組みが有効に弊害なく機能するためには、それを支える基盤として実効的な労使コミュニケーションを行い得る環境が整備されていることも必要となる」としています。また、「守る」と「支える」の視点から労働基準法を考えるに当たっては、「法的効果の対象となる「労働者」をどのように捉えるのかといった、労働基準関係法制に共通する総論的課題も踏まえた検討が必要」としています。
さらに、「働き方改革関連法の施行から5年が経過し、その効果を測りつつ、働き方の更なる改革として何が必要かを検討しなければならない。その検討に当たっても、上記のような労働基準関係法制に共通する総論的課題も踏まえた上で、労働時間制度の具体的課題について検討していくことが必要」としています。
第4 報告書から抜け落ちている重要課題
報告書は、以上のように幅広い課題について検討されているものの、雇用労働者の4割を占める非正規労働者に関する課題(入口規制、均等均衡待遇等)、配置転換等に関する課題、ハラスメント規制等、早急に議論が必要な諸課題については検討されておらず、重要課題が検討対象から欠落しているところにまず問題があるといわざるをえません。
また、上述のように労使コミュニケーションなど労働組合が当事者たる事項が検討されているにもかかわらず、研究会の委員は全て研究者で占められており、労働組合関係者は含まれていないという研究会の構成にも問題があるというべきです。
第5「労働者性」に関する報告書の問題点
報告書は、「昭和 60 年労働基準法研究会報告を取りまとめた労働基準法研究会と同様に、労働者性の判断基準に関する知見を有する専門家を幅広く集め、分析・研究を深めることが必要である。このため、厚生労働省において、継続的に研究を行う体制を整えることを、本研究会として要請する。」と記述していますが、具体的な提案は何らなされていません。
とりわけ、これまで研究会において議論されてきた「労働者性の推定規定」の創設に関する記載が報告書にないことは問題であるというべきです。偽装フリーランスに関する労働問題の大きな特徴は、紛争が長期化してしまうため、事実上、労働法による保護を享受することが困難となっている点にあります。今日、本来「労働者」とされるべき者が、非労働者として扱われることにより、労働基準法に定めた最低限の労働条件の実現を妨げられ、団体権・団体交渉権・団体行動権という労働基本権を侵害されるという重大な人権侵害が生じており、かかる事態に対処することは喫緊の課題です。このような事態を解消するためには、速やかに、立法により、労働者性推定規定を創設し、就労者について、一定の基準のもとで労働関係法令による保護が受けられるようにすることが求められます。その対応は喫緊の課題であって、その議論を先延ばしにすることは許されません。
第6 労働基準法における「事業」概念に関する報告書の問題点
報告書は、労働基準法の「事業」概念について、同法の適用対象と適用の場所的単位、過半数労組との労使協定や意見聴取等の法定手続の単位について、主として場所的観念から定められる「事業」によることが妥当か否か検討されていること、企業単位なども検討すべきではないかが指摘されるなどしていること等を記載しています。
しかしながら、労働基準監督署は、所在地ごとに事業場を管轄し、指導を行っており、現在、全国321の労働基準監督署が置かれています。労働基準法の適用単位である「事業」は、この労働基準関係行政の体制に対応するものであり、これを維持する必要があります。現在においても、違法な長時間労働等が複数の事業場で認められた企業に対しては、企業単位での指導・公表が行われるなど、必要に応じて柔軟な対応もなされており、あえて適用単位の見直しをする必要性はないというべきです。
労使協定や意見聴取等の法定手続の単位についても、やはり「事業」ごとによることを維持すべきです。すなわち、法定時間外労働を免罰化する36協定など労使協定等については、事業場ごとの労使コミュニケーションによって当該事業場の実態や労働者の意向を踏まえてなされるべきであって、企業単位で包括的に行われるべきものではありません。また、労働組合が、ある事業場の労働者の過半数を組織しているものの、企業単位では労働者の過半数を組織していないようなケースにおいて、当該労働組合は企業単位でみた場合には過半数労働組合ではないことになり、労働組合として重要な機能を失ってしまうことにもなり、妥当ではありません。なお、報告書では事業場ごとに過半数代表者が分断されてしまい、実質的な労使コミュニケーションが果たされているのかという疑問も示されていますが、それは企業単位すれば解決されるというものではありません。
また報告書では、「テレワークの浸透など、働き方の多様化等を踏まえ、物理的な空間・場所を基礎とする既存の「『事業』や「事業場」概念によって規制を敷くことがそぐわない場合が生ずることも考えられる旨の示唆を行っていますが、テレワークで就労する労働者についても、その所属する部署等の事業場を単位として労働基準法の規制を及ぼしつつ、その就労実態等への対応は別途細やかに行うべきです。
第7 労使コミュニケーションについての報告書の問題点
報告書は、「昨今は、働き方の多様化、経済情勢や技術の変化の激しさに更に拍車がかかっている。労働基準関係法制については、こうした変化の下でも守るべき原則をしっかりと堅持した上で、法令において定められた最低労働基準としての規制の原則的な水準を守りつつ、多様な働き方を支える仕組みとすることが必要である。そのためには、それぞれの規制において適切な水準が担保されることを前提に、労使の合意等の一定の手続の下に個別の企業、事業場、労働者の 実情に合わせて法定基準の調整・代替を法所定要件の下で可能とする仕組 みとなっていることも必要となる。」と記述しています。
☚この記述からは、「労使自治」を労働基準の切り下げのツールとして位置づける意図が垣間見られますが、労使自治の名の下に最低労働基準を定めた労働基準法などの規制を弾力化・空洞化することは絶対に許されません。
第8 労働時間法制に関する報告書の問題点
1 労働時間規制の適用除外・柔軟化の拡大は認められない
研究会がその議論の前提として踏まえるとしている「新しい時代の働き方に関する研究会」報告書(2023年10月20日)は、「働き方の個別化・多様化」を前面に押し出し、「これからの労働基準法性の検討の基礎となる視点」の1つに「働く人の求める働き方の多様な希望に応えることのできる制度を整備すること」(支え方)をあげていました。また、同報告書には「企業においては労働時間と成果がリンクしない働き方をしている労働者については、労働者の多様で主体的なキャリア形成のニーズや、拡大する新たな働き方に対応できるよう、労働者とコミュニケーションを図り同意を得た上で労働時間制度をより使いやすく柔軟にしてほしいという希望も見受けられた」という記載もなされていました。しかし、「働き方の個別化・多様化」、「労働時間と成果がリンクしない働き方」という概念は、労働時間規制が緩和される際に常にあげられてきたものであり、同報告書が労働時間規制の柔軟化・適用除外を念頭に置いていることは明らかでした。
その後、日本経済団体連合会(経団連)は「労使自治を軸とした労働法制に関する提言」(2024年1月16日)を公表しており、「労使自治を重視/法制度はシンプルに」という基本的な視点のもと、①【過半数労働組合がある企業対象】労働時間規制のデロゲーションの範囲拡大、②【過半数労働組合がない企業対象】労使協創協議制(選択制)の創設などを求めるものでした。経団連は、過半数労働組合がある企業、及びない企業のいずれにおいても、「労使自治」を労働時間規制緩和のツールとして位置づけています。
しかしながら、労基法は、労働者が人たるに値する生活を営むため、雇用と労働条件の最低基準を保障するものであり、特に労働時間規制については、労働者の生命・健康はもとより、労働者の生活時間を保障するためのものでもあるのですから、その適用除外・柔軟化が安易に認められるべきものではないことは言うまでもありません。
☚ この点、労働基準関係法制研究会は、「労働時間規制」の「議論の視点」として、「仕事に対する価値観や生活スタイルが個別・多様化する中で、働く人の心身の健康を確保することを大前提とした上で、働く人の求める多様な希望に応えることのできる制度を整備することが重要」という点をあげており(第9回資料)、その議論の方向は上述した「新しい時代の働き方に関する研究会」報告書、経団連「労使自治を軸とした労働法制に関する提言」と同様の危険性があります。1月8日に公表された報告書においても、労働時間規制及び労使コミュニケーションがともに検討されていますが、以上のような「労使自治による労働時間規制の緩和」につながる議論は許されてはならないというべきであり、わたしたちとしては今後の議論の方向に注意してく必要があります。
2 時間外・休日労働時間の上限規制について
報告書は、時間外・休日労働時間の上限規制について「現時点では、上限そのものを変更するための社会的合意 を得るためには引き続き上限規制の施行状況やその影響を注視することが 適当ではないかと考えられる。」との記述にとどまっており、更なる上限規制について消極的と見られます。しかしながら、現行法の上限規制は過労死ラインを容認するものであり、本来一層の上限規制強化が求められているのであり、報告書の姿勢は極めて不十分といわざるを得ません。
3 テレワーク時のみなし労働時間制について
報告書は、「実労働時間規制のかからない自由度の高い働き方として、みなし 労働時間制の活用が考えられる」として、テレワークにみなし労働時間性を適用できるよう法改正することを示唆していますが、テレワークにみなし労働時間制を適用することは、労働時間規制の柔軟化・適用除外につながる危険が大きいといわざるを得ません。
そして「この場合、その導入については集団的合意に加えて個別の本人同意を要件とすること、そして、制度の適用 後も本人同意の撤回も認めることを要件とすること等が考えられる」としていますが、労働者が本当に自由に同意・不同意を決めることができるかについては大いに疑問であり、個別合意はもとより集団的な合意によっても、労基法の最も重要な労働時間規制が大幅に緩和(適用除外・柔軟化)されることは、その労基法の強行法規性の放棄につながりかねない極めて危険なものです。テレワークは特に長時間労働を誘発しがちであるという実情があり、いまテレワークにおいて求められるのは、規制の緩和ではなく、むしろ規制の強化であるというべきです。
4 勤務間インターバルについて
報告書は、勤務間インターバルについて、「本研究会としては、抜本的な導入促進と、義務化を視野に入れつつ、法規制の強化について検討する必要があると考える」としていますが、「多くの企業が導入しやすい形で制度を開始するなど、段階的に実効性を高めていく形が望ましいと考えられる」との記述に留まっており十分ではありません。
5 つながらない権利について
報告書は、つながらない権利について、「勤務時 間外に、どのような連絡までが許容でき、どのようなものは拒否すること ができることとするのか、業務方法や事業展開等を含めた総合的な社内ルールを労使で検討していくことが必要となる。このような話し合いを促進 していくための積極的な方策(ガイドラインの策定等)を検討することが 必要と考えられる」との程度に留まっており法制化の必要性については指摘していません。
6 副業・兼業の場合の割増賃金について
報告書は、副業・兼業について、「労働者の健康確保のための労働時間の通算は維持しつつ、割増賃金の支払いについては、通算を要しないよう、制度改正に取り組むことが考えられる。その場合、法適用に当たって労働時間を通算すべき場合とそうでない場合とが生じることとなるため、現行の労働基 準法第 38 条の解釈変更ではなく、法制度の整備が求められる」として割増賃金の支払いについて通算しないことにする立場を明確にしていますが、これは極めて問題というべきです。むしろ、政府が副業兼業を推進するのであれば、それに付随して生じ得る長時間労働に対する規制は、さらに重要性を増すことになるはずであって、報告書はこれに逆行するものといわざるを得ません。
第9 労働基準関係法制の今後の動向に関心をもつことの重要性
この社会において生きている大半の人は,その人生の多くの時間を労働に費やしている労働者です。これら働く人々が,個人の尊厳を確保していくためには,各自が働いている労働の現場において,個人として承認され尊重されなければならないのはいうまでもなく、そのためにも労働基準法などの労働者保護法制は極めて重要です。私たちは労働基準関係法制の今後の動向に常に関心をもって、誤った方向へと法改正がなされない世論づくりに参加していく必要があると思います。
以上