園子温にはまっている私
弁護士:毛利 倫
1 最近、園子温(その・しおん)の映画にはまっている。
最近といっても、わずかこの数日前からはまりだしたばかりである。
きっかけは、映画や演劇に詳しい知人が、園子温監督の「冷たい熱帯魚」(2010年)に出演しているでんでんの演技がすごいと勧めてくれたからだ。
でんでんといえば、私たちの世代なら「お笑いスター誕生」(古すぎ!?)でおなじみのお笑い芸人であるが、その後は、どこにでもいそうなおっさんを独特の存在感で演じる味のある脇役俳優として活躍している。
「冷たい熱帯魚」は、1993年に発生した実在の埼玉愛犬家連続殺人事件をベースとした衝撃作である。高級熱帯魚のもうけ話を持ちかけて大金を出資させては、トラブルになると出資者を次々に殺害するという極悪非道なビジネスを続ける熱帯魚店経営者。表向きは明るい笑顔を振りまく人のよさそうな男でいながら、その裏では残虐な連続殺人鬼という二面性を持ったこの役を見事に怪演したのがでんでんである。その強烈な悪役ぶりと狂気は、直接映画を観て確かめていただきたいが、この映画を観るに当たっては、目を背けたくなる残忍な遺体の解体場面がこれでもかというほどに出てくるので要注意である。何せこの映画の元となった事件では、「ボディを透明にする」として、殺した遺体を細かくバラバラにして遺棄し、証拠を完全に隠滅したその残忍な手口が世間を震撼させたのであって、映画では、でんでんらが、笑いながら遺体を解体する場面に身の毛もよだつほどの恐怖を感じる。
2 普段の役どころと全く違うでんでんのすさまじい演技もさることながら、この「冷たい熱帯魚」は、人間の狂気を、吐き気を催すほどストレートに描いた映画として秀逸である。実際、数々の映画賞を獲得し国内外で高い評価を得た園子温の代表作である。
つい数日前この映画を観て、なぜか園子温の魅力にはまってしまった私は、いてもたってもいられず、おとといの仕事後、レンタルDVD店に走り、「愛のむきだし」(2009年)を借りた。
上下2巻、上映時間4時間にも及ぶ壮大なこの作品は、とてもこの場で説明するのもはばかられるようなおバカな内容であるが、しいて言えば、壮絶な純愛映画である(本当か?)。しかし、映画としてはすこぶる面白い。かくして、私は、園子温のわけのわからない妖しい世界にますます引きずり込まれてしまった。
3 そこで、こうなったら、次の作品を観たいという欲求に駆られた私は、きのうの夜もまたまたレンタルDVD店に走り、園子温の作品を物色していると、なんとこの3月にDVDが出たばかりの最新作「希望の国」(2012年)という作品があるではないか。
迷わずこの作品を借りて観た私は、二重の意味で衝撃を受けた。園子温の売りとされるこれまでのエログロ作品と全く違うのである。それどころか、この作品のテーマは、原発事故である。そう、めっちゃ硬派な社会派作品なのである!
福島第一原発事故から数年後、架空の長島県で原発事故が起き、原発から半径20キロ圏内が立入禁止となる中、強制的に家を追われる人々、放射能の恐怖におびえる人々、避難する人々と避難したくても地域を離れられない人々。引き裂かれる家族。日常生活から職場、地域社会のつながり、土地と人間との何世代にも渡る結びつきなど、ありとあらゆる次元において全ての関係性を分断し、人々を絶望に陥れていく原発。映画は、3組の家族の姿を通して、福島以後に現実に起きている事態を冷静かつ淡々と描いていく。園映画の売りである暴力シーンも性的描写も一切なく、園子温の従来の作品と完全に一線を画している。
しかも、それでいて、この映画は、原発問題を真正面から捉えた社会派作品として、なかなか見応えのある出来となっているのである。今月73歳で亡くなった主演の夏八木勲をはじめ、出演者のセリフに重みがあるのは、園が語るように、想像力でセリフを書くのではなく、取材した被災者の生の声をシナリオに反映したためであろう。
しかし、「希望の国」というタイトルとは裏腹に、映画は、全くの絶望的な状況の中で終わる。それが原発を持つことを決めたこの国の未来であることを示すかのように。
4 私は、映画ではなく、現実の世界で、「原発なくそう!九州玄海訴訟」弁護団に入っていて、福島事故以降、原発問題は、私にとって今取り組むべき最大の関心事である。現在6000人を超える原告を結集して裁判をしているが、政府や財界など原発推進勢力の巻き返しも強く、また、事故から2年以上経過して、原発問題への人々の関心も薄れてきているのは否めない。原発再稼働を阻止し、原発のない社会を実現していくためには、裁判だけでなく、原発問題に関心のない人たちも巻き込んだ新たな運動を作り上げ原発問題を風化させない取り組みを続けていく必要性が高い。
そうした中、「原発は誰にとっても重要な課題」だとして、あのエンターテインメント路線を突っ走る人気監督の園子温が、タブーの多い原発問題に正面から目を向け、メジャーな商業映画として、こうした硬派な原発映画を世に問うことの意義・効果は、計り知れないほど大きいだろう。
そんな思いにひたりながら、「希望の国」をみおえると、私が、たまたま園子温にはまったことも、偶然というより何か必然とでも言うべき運命的なものを感じてしまう。そんなことを考えていると、私を園子温の映画に導いてくれた素敵な知人に感謝しつつ、また来週以降も、園子温の作品を借りにレンタルDVD店に走る自分の姿が目に浮かぶのであった(了)。