萩労基署・土木建設会社技士過労自殺事件再審査での逆転認定
弁護士:梶原恒夫
はじめに
振り返ってみると,そもそも労基署段階で早期に労災認定がなされるべき内容の事案でした。現在の「心理的負荷による精神障害の労災認定基準」の下における過労自殺の労災認定行政においては極めて重要な論点の一つとなる被災者の精神疾患の「発症時期」について,本件の労基署は,何ら具体的根拠も示すことなく,本来の発症時期よりも2か月ほど早い時期と認定し,その結果,その時以降の心理的負荷をもたらす事実を一切無視して「業務外」としました。極めて恣意的な認定といわざるを得ず,これによって遺族の労災補償受給を大きく遅らせたことは許しがたいことです。労基署の業務外決定で心が折れてしまってそれ以上の手続を断念する事例も多々あることを思うと,労基署の責任は大きいというべきであり,労災認定行政はもっと適正に行われるべきであると強く思います。
1 事案の概要
土木建設会社の工務部次長の地位にあった被災者(当時40歳台・男性)が,公共工事として受注した道路建設現場の責任者として勤務していた当時,工事半ばの時期に自殺した事案です。
2 申請等経過
2018年4月 被災発生(自殺)。
2019年4月 萩労基署に対する労災申請。
2019年11月 業務外決定処分。
2020年1月 審査請求。
2020年9月 審査請求棄却。
2020年10月 労働保険審査会に再審査請求。
2021年2月 業務外決定取消請求訴訟提起(福岡地裁)。
2021年10月 労働保険審査会で逆転認容(これにより請求者は行政訴訟を取り下げました。)
3 本事案の特徴
原処分の業務外の理由は,被災者の精神障害の発症時期を2月とし,それ以後の事実関係を一切検討していないというものでした。しかし,2月当時,精神疾患の発症を窺わせるエピソードは何も認められず,またそれ以前の時期に業務過重性を示す事実関係も全く存していませんでした。請求者としては,発症時期は4月下旬であると主張し,3月,4月の長時間労働の存在(発病前1か月の時間外労働時間数は112時間,発病前2か月の時間外労働時間数119時間5分),及び公共工事発注者側からのハラスメントの事実を主張しました。労基署の発症時期の認定根拠は,医学意見書を見ても極めて抽象的記載しかなく,行政訴訟における被告主張も同様に何ら具体的根拠を示していませんでした。
4 主な論点
精神疾患の発症時期
請求人の主張:4月19日(中等症うつ病エピソード)
労基署長の主張:2月下旬頃(反復性うつ病性障害、現在精神症状を伴う重症エピソード)
請求人は、2月下旬には、精神疾患の発症を窺わせる特段のエピソードは存しないとして、労基署の認定に強く反論してきました。また、請求人は、地方労災医員の一人も3月下旬発症と考える旨を述べていることも指摘しました。しかし、審査官も発症時期の認定を変えず、審査請求においても業務外決定となったため、再審査請求と同時に行政訴訟を提起して争ってきました。そして発症時期に関する医学意見書を作成して行政訴訟において証拠提出しようとする直前に、労働保険審査会での業務上認定という労働者側勝利の逆転認定がなされました。
5 労働保険審査会の判断の概要
ア 精神疾患の発症時期について
労働保険審査会は、地方労災医員の中において専門医による意見の相違があること(前述参照)、及び請求人が公開審査で2月下旬にうつ病の症状は一切なかったと述べていることから「被災者の発病の時期及び業務起因性について慎重に検討する必要があると判断」し、「審理のための処分」として、労働保険審査会として医師(一般社団法人認知行動療法研修開発センターO医師)に精神医学的意見を求めました。
同医師の意見は、「被災者の自殺の原因となった本件精神障害の発病時期について、地方労災医員協議会は、『抑うつ気分』や『興味の喪失』の症状を訴えた平成30年2月下旬としている。しかし、その時期に著しい苦痛や機能の障害が存在していたことを示唆する出来事はなく、逆にその後も長時間の労働を連続して行っていたことを考えると、2月下旬に発病したとすることはできない。妻の陳述書によれば、被災者の様子がおかしいと感じ始めたのは3月下旬からで、『以前のような元気がなくなり、ひどく落ち込んだようなうつうつとした様子』になってきて、酒量も増えてきて怒りっぽくなってきたという。具体的には、イライラしている様子で、長男が鳴くのに対して『うるさい』などと、以前には口にしなかったことを言うようになったり、休日に外出しなくなったり、などといったこれまでと異なった言動が見られるようになったり、3月24日には、急に仕事に行かないと言い出して1日家におり、とても疲れた様子で家族との外出も断って家に籠っていたという。また、携帯メールでは、4月5日にはじめて『体調が優れない』という記載が見られる。こうした事実を考え合わせると、うつ病の発病時期は3月下旬と考えるのが妥当である。」(以上、裁決書からほぼそのまま抜粋)というものであり、労働保険審査会は、「審査資料による被災者の状況を十分踏まえた上でO医師は意見を述べており、その意見は妥当」であるとして3月下旬に「本件疾病」(反復性うつ病性障害、現在精神症状を伴う重症エピソード)を発症したと認定しました。
イ 出来事と業務起因性
① 仕事内容の変化(請求人もこれを主張)
労働保険審査会は、心理的負荷評価表の「仕事内容・仕事量の(大きな)変化を生じさせる出来事があった」(強度Ⅱ)に当てはめるのが相当であるとし、それまでの業務と異なる業務に従事することになった負担を考え心理的負荷の強度を「中」としました。
② 労働時間の変化
また,労働保険審査会は、被災者の手帳の記載による労働時間の認定について、会社の人間が「被災者の手帳に記載された労働時間は、被災者の記載したものであれば、間違いなく実際の労働時間であると思う。」と述べていること、及び、被災者は手帳に日々の雑貨等の支出額を記載しており、手帳の記載内容は信憑性が高いとうかがわれること、被災者の手帳に記載された労働時間は、毎日変動があり、会社の作成した労働時間集計表とも適合していること、から被災者の手帳を基礎とした労働時間の認定が妥当である旨述べています。
その上で、労働保険審査会は、労基署長が作成していなかった2月下旬から3月下旬にかけての時間外労働時間を労働保険審査会として集計し、107時間と認定しました。
③ 業務による心理的負荷の強度
以上の認定を前提として,労働保険審査会は、心理的負荷の強度が「中」と判断される出来事の後、発病前1か月目において、時間外労働時間数が107時間となったから、心理的負荷の強度が「中」と判断される出来事の後に恒常的な長時間労働が認めることができ、全体として「強」と判断されるとの判断を行いました。
6 請求人代理人の感想・教訓など
わたしたち請求人代理人としては、行政訴訟での立証に向けて、医学意見書作成のために梶原と星野圭弁護士で奔走していたところでした。そのような中で労働保険審査会での逆転認定を受け,やはり行政手続きにおける認定を目指して労働保険審査会における審理にも十分力を入れなければならないと改めて思った次第です。
労働保険審査会の認定内容についてみると,労働保険審査会が、請求人(妻)の陳述書を、対象疾病の認定において重要な証拠としていることに強く注意を引かれます。代理人としても、とりわけ発症時期との関係で、妻の陳述書の作成においては、細心の注意を払って記述したつもりですが、これが適正に判断されたことはとてもありがたいと感じました。
また、この事例はタイムカードなどが一切存在していませんでしたが,労働保険審査会が被災者本人の手帳を労働時間認定の基礎に据えた点も今後の参考になると思います。
以上